◆御祭神

保食神(うけもちのかみ)     五穀豊穣・商売繁盛
大物主神(おおものぬしのかみ)  海上安全・火難除け
日本武尊(やまとたけるのみこと) 国土安穏・出世・試験合格・交通安全

 


◆由緒

   当神社の創祀は明らかではないが、平安朝の末期渡来していた眼病の和人が、アイヌ人に教わり温泉で目を洗ったところ、眼病が快癒した。その和人は、妙見菩薩の加護ではあるまいか、と感謝の意を込めて祠を建てた、という伝承がある。

 

天明6年(1786)、幌別郡(現・登別市)が松前藩士細田儀右衛門の給地に指定されたのを契機に、妙見菩薩の祠を再建し、胆振地方の鎮守社とするため保食神を合祀し、妙見稲荷社と称した。


明治3年(1870)、白石藩城主片倉小十郎邦憲が家臣百五十余名を従え胆振国幌別郡へ移住し、片倉氏の総守護神刈田嶺神社(延喜式内社、陸奥国刈田郡総鎮守、別名・白鳥大明神)の御祭神である日本武尊の御分霊を奉じて合祀し、幌別郡開拓の守護神とする。

 

明治4年(1871)、御社殿を幌別村字浜七十番地(現・幌別町一丁目)に新しく建立し、社名を刈田神社と改称し、これより幌別郡の開拓者の心の支えとして御鎮座する。
明治6年(1873)四国からの開拓者が金比羅宮(式内社、旧国幣中社)の御分霊を奉じて合祀する。
明治8年(1875)には、幌別郡の郷社と公称する。
明治14年(1881)には、現在の境内地(中央町六丁目)へ御遷座する。
明治15年(1882)には、神饌幣帛料供進神社に指定される。

 


そして終戦の後、神社本庁包括宗教法人として氏子崇敬者の尊信を専らにして変わることなく今日に至る。

 


◆末社と御祭神

三貴子神社

 天照皇大御神(あまてらすすめらおおみかみ)
須佐之男命(すさのおのみこと)

月讀命(つくよみのみこと)

 


大山祇神社

天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
大己貴神(おおなむちのかみ)